第49回日本SF大会 2010 TOKON10
首都大会EDO―電脳金魚の大冒険―
2010年は東京でSF大会

第49回日本SF大会 2010TOKON10 プログレスレポート 第2号

実行委員長挨拶

明けましておめでとうございます。

2010TOKON10実行委員長の立花です。

ついに2010年の年が明けましたね。もうTOKON10が今年になってしまいました。大会をやろうとみんなで話し合って表明してから一年が経ってしまいました。なんだかやっと一年たったのか、もう一年たったのかわからない感じです。

実行委員会の方は徐々に進んできています。といっても本格的に企画やら何やらが決まってくるのは、もう少し先なんだろうなー......みなさま驚きのスペシャルゲストが現れるかも?!な〜んて当日をお楽しみになさってくださいね。

さて、プログレスの第2号をお届けいたします。今回の「聖地巡礼」はそう、東京ファンダムをよくご存知の方なら「ああ!」とおっしゃるであろう「渋谷」です。今はプロになった方々やBNFも若き日に通った「渋谷」をお楽しみ下さい。

またブログの方で連載中の「東京SF大全」はお楽しみいただいていますでしょうか?

現在の執筆者は歴代のSF評論賞受賞者の方々です。短いながらも読み応えのあるものばかり、こちらは昔の「一の日会」にちなんで毎月一の付く日に更新しています。「この作品も東京が舞台だから取り上げてよ」、「おれにもわたしにも書かせてよ」とおっしゃる方、募集しております。200〜400字をめどに、実行委員会のメールアドレスまでお送りくださいませ。お待ち申し上げております。

開催概要

第49回日本SF大会 2010TOKON10
テーマ
首都大会EDO ―電脳金魚の大冒険―
会期
2010年8月7日(土)・8日(日)
会場
タワーホール船堀 (東京都江戸川区)
定員
1000名
参加費 (2日分)
一般1万2千円【2010年4月末までに申し込みの場合】
学生6千円【2010年8月7日時点で高校生以上の学生】
  • TOKON10公式サイトにてお申込み受付中!
    公式サイトの「参加登録」からどうぞ。
  • 郵送、FAXによるお申し込みは、公式サイトの「参加登録」から、申込書をダウンロードして、以下の宛先まで。
  • 〒 102-0073
    千代田区九段北 4-1-13 ニュー原鉄ビル5F
    (株)クイックス東京内 「TOKON10」実行委員会
    FAX: 03-3221-9141

実行委員会からのお知らせ

  • あのコスプレのキャラが見たい!
    ・あなたが見たいSFキャラを実行委員会に教えてください。
    ・これまでのSF大会で見たSFキャラの中で、ぜひもう一度見たいと思うものを教えてください。
    ・近日中に公式サイトに申し込み窓口を設けますのでふるってご応募ください。
  • スタッフ募集!
    ・定期的にスタッフ会議に参加して大会の運営を支援してくれるスタッフを募集しています。また、当日のみのボランティアも募集しておりますので、お気軽にお問い合わせください。
  • お申込後にメールアドレス、住所その他に変更が発生した場合は、実行委員会までご連絡をお願いいたします。(公式サイトの「お問い合わせ」からどうぞ)
  • 一般の参加費が1万2千円なのは2010年4月末までです。まだお申し込みの済んでいないお友達には早く申し込むようにお勧めください。
  • その他の疑問点につきましては、TOKON10公式サイトのFAQをご覧ください。随時更新する予定ですので、定期的にチェックなさることをお勧めします。
TOKON10公式サイト
http://tokon10.net/
お問い合わせ先
info@tokon10.net

企画局からのお知らせ

自主企画申し込みについて
Webからの申し込みページを1月中旬にオープンする予定です。Web申し込みが可能になった時点で、実行委員会ホームページまたは同ブログでご案内いたします。また参加申し込み時に「企画申込あり」とされた方にはメールでご案内する予定です。
■自主企画申し込みページ(1月中旬オープン予定)
https://tokon10.sakura.ne.jp/program/
応募多数のため企画の受付を停止させていただきます。ご協力ありがとうございます。
http://tokon10.sakura.ne.jp/program_regist/
会場内での販売物について
会場の利用規約上の制約により、営利を目的とした販売は禁止されています。物販は非営利の頒布の範囲で行ってください。
ディーラーズルームについて
参加申し込み時に「ディーラーズルーム申込あり」とされた方には詳細をお聞きするために、実行委員会からご連絡いたします。ご連絡は2月頃を予定しています。
なお、大会参加者以外の方が無料で入場できる展示ホールにディーラーズルームを設ける予定です。そのため、一般の方とのトラブルを避けるため、またスムーズな運営のために以下の点にご注意ください。
  • 出店申し込みはSF大会の参加者のみとします。必ず大会参加者が申し込んでください。
  • 営利を目的とした販売は会場の利用規約上、禁止されています。ただし、作家・アーティスト等の個人が本人に関する物を販売する場合には、実行委員会にご相談ください。
  • 内容・表現が公の展示・頒布にふさわしくない性質のものについてはお断りする場合があります。
  • パソコン、CDプレーヤーなどによる音楽・ラジオの放送、楽器の演奏、唱歌などは禁止します。
  • 電源は原則として使用できません。
  • 他のサークルや参加者とのトラブルは双方の話し合いで解決してください。周囲に被害が及ぶような場合には退出をお願いする場合がございます。
  • 設営、撤収にご協力ください。
  • 頒布・展示する物の管理は各サークルの責任で行ってください。一般無料入場スペースであることから、盗難なども考えられます。実行委員会では責任を負いかねますので、無人販売等は避けるようにしてください。

会場についてのFAQ(抜粋)

Q. 船堀ってどこですか?
A. 船堀は東京都江戸川区中西部の葛西地区にあります。
Q. タワーホール船堀ってどんな施設ですか?
A. 正式には「江戸川区総合区民ホール」で、地下2階、地上7階で、高さ115mの展望タワーがあります。また、大小ホール、会議室、結婚式場/宴会場の他、レストラン、映画館、書店などのテナントがあります。最寄り駅は都営新宿線船堀駅で、駅から徒歩1分です。
Q. 会場は貸切りですか?
A. ホールや会議室など借りられる部分はほぼ全部借りていますが、展望タワーやテナントなど公開部分が残っていますので、一般人に迷惑をかけないようご注意ください。なお、廊下やトイレも公開部分です。
1階の展示ホールは大会が使用しますが、参加者以外も入場可とする予定です。ホール企画の一部も時間を区切って公開になるかも知れません。
Q. 大会は会場のどの部分で行なわれますか?
A. 1階の展示ホール、3階の会議室、4階の会議室/研修室/和室、5階の大小ホールです。
Q. 館内には、SF大会会場以外にどんな施設がありますか?
A. 7階にはチャペル、レストラン、展望室へのエレベーターがあります。6階はフロア全体が医療検査センターですので、立入らないようお願いします。5階にはホール事務所、コインコピー機などがあります。3階には産業振興センター/女性センター/エコセンターなどがあります。2階には宴会場/結婚式場、フォトサロン、親族控室等があります。1階には総合カウンター、JTB(旅行代理店)、ビューティーサロン、上野精養軒、築地植むら、生花店、くまざわ書店があります。地下1階には楽器店、映画館、ATM、駐車場があります。
Q. タバコは喫えますか?
A. 館内は禁煙です。3階、4階に喫煙スペースがありますので、喫煙はそこでお願いします。
Q. 会場で飲食できますか?
A. カフェやお茶会など一部の企画で飲食物が提供される場合はありますが、それ以外の企画の室内、ホール客席では飲食はご遠慮ください。通路/廊下のソファでの飲食は禁止されています。また会場内はアルコールも禁止です。
Q. クロークはありますか?
A. 検討中です。なお、着替用の更衣室で荷物を預かることはできません。

聖地巡礼

都内にあるSFファンの聖地を訪ねて歩く企画です。第2回はSFファンが定期的に集まって、SFについて熱く語り合っていた渋谷の喫茶店「カスミ」「ウエスト」「ノーブル」編です。広報局スタッフの小谷真理と藤田直哉が取材を敢行し、SF評論家の礒部剛喜と藤田直哉がそれぞれ記事を執筆しました。現存する「ウエスト」の店内とママの写真とともにお楽しみください。

第2回 渋谷・カスミ編

私にとって1978年はSFの年だった。高校に進学したこの年に『未知との遭遇』の封切りを皮切りに始まったSF映画ブームは、その夏の『スター・ウォーズ』と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の公開でピークを迎えた。サンリオSF文庫が創刊されたのも同じ頃である。もちろん高校ではファングループの創設に加わった。地理的に都市部のファンダムとの交流が困難な田舎町で始まったわれわれのファングループでは、ファン活動の何事も手探りで始めなければならなかった。

そんなわれわれのファン活動の指標となってくれたのが、柴野拓美さん監修の『SF次元へのパスポート』(住宅新報社)という本だった。この本はまさにSFファンたるものが道標とするバイブルであった。渋谷の喫茶店〈カスミ〉にたむろする〈一の日会〉という集まりのことを知ったのも『SF次元へのパスポート』においてであった。当時の私にとって、大都会東京のファンダムはあこがれの異世界のように思われたものだった。

東京渋谷は、かつてわれわれのような田舎のSFファンが訪れることを切望したSFファンダムの聖地の一つである。わが国で最も古いSFファングループの一つ〈SFマガジン同好会〉を母胎にしたSF例会、通称〈一の日会〉が誕生したのが、渋谷区道元坂の喫茶店〈カスミ〉だったからである。1962年に開催された日本最初のSF大会〈MEGCON〉を機に、著名な幻想文学研究者の紀田順一郎氏らが創設し、毎月の一の付く日に会合を開いた〈一の日会〉は、その後多数のSF関係者を輩出することになる。

日本SFファンダムの一つの出発点は、わが国におけるUFO現象学の起源と深い関係を持っていた。いまでこそ、UFO現象学などというものはSFと対峙する擬似科学のように受けとめられているが、日本のSFとUFO現象学は、絡み合う二本の樹のような関係で発展してきたのだった。日本最初のSF同人誌〈宇宙塵〉はUFO現象学のパイオニアとなった民間調査団体〈日本空飛ぶ円盤研究会〉から分派したものだったからだが、〈一の日会〉が誕生したころ、日本SFの潮流はUFO現象学の領域から完全に離脱しつつある時代を迎えていた。

すでにSFは一つの文学世界としての広がりを持ち始めていたのである。〈カスミ〉で開かれる〈一の日会〉はまさのその象徴と言えた。

当時の〈一の日会〉の様子を、鏡明氏はこう記している。
「ぼくがはじめて顔を出したのはちょうど大学へ入った年で、珈琲屋さんの扉を押して中に入ると、右手の奥に一の日会のメンバーがたむろしていたのです。(中略)みんな本当にSFの話をしていて、今でもSFの世界というのはプロとファンの距離が近いのですけど、当時はもっと近かった(平井和正『超革命的中学生集団』ハヤカワ文庫版の解説より抜粋)

参加者は佐藤正明さん、井口健二さん、綿引宏さん、林石隆さん、桑畑蓉子さん、鴨木悠之子さん、川又千秋さん、亀和田武さん、野田昌宏さんといった、いずれもSFの世界に精通した錚々たる人々。もちろん〈一の日会〉のメンバーは同人誌も造っており、前掲紀田順一郎氏が創刊した〈宇宙気流〉は、〈宇宙塵〉とともにその後のSFファンジンに強い影響を与えた。

SFファンなら誰でも参加できるオープン制の形式だった〈一の日会〉は、地方のSF人がそこをめざして上京してくる交流の場でもあった。当時は全国でもSFファングループの数はまだ少なく、SFファンが語り合える場は限られていた。

1968年にはるばる鹿児島から〈一の日会〉に顔を出した守猛甫氏のレポートが、〈九州SFクラブ〉のファンジン〈てんたくるす〉に掲載されている。「段々人がたてこんできて、カスミは一の日会で独占されました。大変な熱気で十人くらいでボソボソ話しているものと思っていた僕は全くダウン。
...みんなコーヒーカップをもって、あっちに行ったりこっちに来たり、にぎやかなこと、にぎやかなこと。大分、BNFの悪口が出ましたが、それを書くとファングループは分裂してしまいますでしょうし、その前に僕が殺されてしまうかもしれないので止めておきます」

何やらよく解らないところはあるが、当時のSFファンの熱気だけは今読んでも伝わってくる。

1960年代末、中学時代からファンダムに出入りするようになった巽孝之氏は、当時をこう回想する。
「[〈一の日会〉は]プロのSF作家である平井和正さん、豊田有恒さん、横田順彌さん、川又千秋さん、SF翻訳家としても著名な伊藤典夫さん、鏡明さんといった面々が常連でした。しかし、SFの会合というのはだんだんSFの話をしなくなっていく傾向があるため、1970年前後に、こんどは同じ道玄坂にあった「ノーブル」という喫茶店で「SFだけを語る会」というのが始まり、これは毎週木曜日に集まるので「木の日会」と呼ばれます。ここの常連には、お亡くなりになりましたが超常現象研究で著名な大田原治男さんや現在と学会の志水一夫さん[志水氏も2009年に他界された]、SF作家の夢枕獏さん、音楽家の難波弘之さんといった方々がおられた。じつは、わたしが定期的にSFの会合に足を運ぶようになったのは、この木の日会が最初で、高校のガクラン着たまま毎週木曜日の夕方になると出入りしていたものです。いまにしてみると、あのあたりはいわゆる円山町周辺で同伴喫茶全盛期でしたから、喫茶店に出入りするというだけで立派な不良高校生だったわけだ(笑)」(巽孝之氏のウェブ対談シリーズCPA MONTHLY by Takayuki Tatsumi & Mari Kotaniより抜粋)

日本SFは60年代から70年代にかけて大きく興隆していくわけだが、〈一の日会〉の人々が書く作品や研究が、その後に続いてファン活動を始めたSFファンに与えた影響は決して小さくはなかった。筒井康隆氏は70年代当時の日本SFの潮流を〈拡散と浸透の時代〉と位置づけていたが、〈一の日会〉の活動がSFの〈拡散と浸透〉に直接的な影響を持っていたことは、その後日本SFの擡頭の中で先の人々が果たした役割を顧みれば明らかだろう。同時にSFの〈拡散と浸透〉は、書き手のみならず読み手の側にもあてはまる。日本各地に拡散し多くのファングループを輩出させたSFファンダムは、より堅実なSFの読者を生み出した。

写真: 現在のウエストの店内
現在のウエストの店内

私が高校を卒業した1981年ごろ、〈金曜会〉と呼ばれるSFファンの会合が毎週金曜日の夜に渋谷の〈ウエスト〉という喫茶店で開かれていた。〈SFショー〉のスタッフミーティングが始発点である〈金曜会〉は、まぎれもなく〈一の日会〉の末裔だった。当初〈金曜会〉は〈一の日会〉と同じ〈カスミ〉で開かれており、二次会で〈ウエスト〉に流れていたそうだが、私が上京した頃は〈金曜会〉と言えば〈ウエスト〉の集まりを指した。金曜会の常連だった朱鷺田祐介君は、当時のことを回顧して次のように語っている。
「僕がいた頃の金曜会というのは、不可解な集団で、ASHINOCONのスタッフにまで遡る古いメンバーと、大学SF研究会からこぼれおち、TOKON8のスタッフ、あるいは、SFセミナー、あるいは、科学魔界その他の雑多な人々が流れ込んで毎週、ぐだぐだ雑談をしていた場所だ。
おそらくは、秋沢豊さんがその中心めいた場所におり、すでにSF評論家だった星敬さんがもしかすると一番、プロっぽかったかもしれない。立花眞奈美さん、狩野あざみさんと巽孝之先生は一つのテリトリーを築いていたが、その半面で、ファンタジイ系ファンダム〈ローラリアス〉の人々(ここに小谷真理さんとひかわ玲子さんがいた)が入り混じり、TOKON8絡みでSFセミナー系が加わり、いわゆる小川隆さん系の海外SF研究会ぱらんてぃあ出身の山岸真君ら翻訳家たちとぱらんてぃあ・ガールズがうろうろするという混沌でした。白泉社の細田均さんとかも時々顔を出していたような」

巽さんを始め、小谷真理さん、星敬さん、ひかわ玲子さん、小川隆さん、立花眞奈美さんといった現在の日本SFの発展に貢献する人々が参集していたこの〈金曜会〉に、私は一度も顔を出すことがなかった。活動の焦点をUFO現象学の研究とSFの創作に置いていたことが公の理由だった。当時のSFとUFO現象学は完全な隔絶状態にあり、SFファンダムでUFOの話題を語ることには私自身抵抗があった。

しかし金曜会へ行かなかった本当の理由は別にあった。当時私の下宿は渋谷に近い世田谷区の経堂にあったため、終電に乗れず帰宅できなくなった山岸真君と朱鷺田祐介君の二人が〈金曜会〉の後に毎週のように泊まりに来たのだった。来宅するのは午前零時前後だったが、二人が来れば酒盛りをしながら朝までSF論の激戦である。山岸真君は酒のつまみにレーズンバターを好んだので、金曜日には必ず買っておいた。

以下は、1982年9月に書かれた私の日記から構成した事実の記述である。決して吾妻ひでおさんのマンガではないことを先にお断りしておこう(念のため)。

その日、例によって終電に乗り遅れた山岸真君と朱鷺田祐介君がやってきて、SF談義が始まった。話題は〈SFマガジン〉のヒューゴー賞特集号のことだった。
「先月のマガジンに載ったシマックの短編『踊る鹿の洞窟』は、ヒューゴー賞にふさわしいいい話だったな。『中継ステーション』を読んだときの感動が蘇った」と私が感想を述べると、しばらく黙って聞いていた山岸真が胸にこみ上げてくるものを堪え切れなくなったように咆哮した。
「何をたわけたことを言っておるのか!あんなものは単なる過去の作品へのノスタルジイがもたらした受賞にすぎない!まったく同じような短編が別のSF誌に掲載されているぞ!」山岸真はおそるべき俊敏さで、音もなく私の背後に回り込むといきなり首を絞めて叫んだ。「これからのSFはなああああ、C・J・チェリイの『色褪せた太陽』だ!オースン・スコット・カードだあああ、『ソングマスター』だあああ!」
「く、苦しい、やめてくれ!誰なんだ、その、おーすん・すこっと・かーど、っていうのは!」

当時19歳だった山岸真君が、それらの作品をすでに原書で読んでいたことは疑う余地がなく、あまつさえ先見の明があった。山岸真はまさに十代にして恐るべき男であった。かくて毎週のようにこんなことばかり続き、SFが読めなくなってしまった私は、密かに主流小説を読むようになっていたのである。

(礒部剛喜)

昔、カスミのあった場所

カスミ、ノーブル、ウエスト、と聞いて、多分、ベテランのSFファンの方々は、懐かしさに胸を熱くするのではないだろうか。一方、これを読んでいる(よね?)若いSFファンの中には、それを聞いても「なんだ、海外のSF作家か?」と思ってしまうかもしれない。これはかつて、SFのファンたちが集まっていた溜まり場の名前なのである。

まず「溜まり場」という場所があるなんてことで驚くでしょう。そこに行けば、毎週金曜日だとか、1の付く日だとか、あちこちのSFファンたちが集まってきて、あっちでわいわいこっちでわいわいと騒いでいて、同好の士が見つかっただなんて!
多分現代の感覚だと、twitterがそれに近いのではないかと思うが、しかし現実に顔を突き合せるのとは違う。うらやましいなぁ!と思うのが率直な感想。僕は北海道の田舎で、牛小屋の匂いとかがするところで孤独〜にハヤカワSF文庫を読んでいましたよ!

渋谷の道玄坂を上がっていって、どことなく『ブレードランナー』っぽく、なんとなくサイバーパンクな通りの奥に、カスミはかつてあった。いや、あったらしい。いや、なかったのかもしれない。「あった」という情報を僕はSFファンダムの先輩に与えられているだけかもしれない。いや、それは捏造された歴史かも....

現実感覚が揺らいでいる。その近くにはノーブルがあって、カスミで騒ぎすぎたり席を移動しまくったりして追い出されたSFファンたちはそのノーブルに行ったらしいが、そこには今では別の建物があり....

今もぼくは、あの店のことを思ったりするのだ。あの、渋谷のむこうで分解してしまったお茶を飲む店のことを──と誰かが言っているのが聞こえる。これはファンダムの先輩の方々の声か?何かの事故で、それはバラバラになってしまったらしい。そして僕は現実感のないまま渋谷を歩いていく。なんだか大事なことは全て終わってしまったような気がする....

宮益坂を登り、左に折れると、ウエストがあった。ここは店がある!実在する店だ!リアルな店だ!中に入ると、ママが出迎えてくれる。この店もかつてSFの集まりに使われていて、店舗は移転したが、今でも慶応SF研の人々が集まりに使っているとのこと。

ああ安心だ、現実に帰れたぞ!そう思ってママが出してくれたカツサンドを頬張ろうとすると、それは木の葉になっていて、周囲の建物はなくなっており、奥から笑い声が聞こえ、外に出ると空は真っ赤で、タヌキが現れてきて、ぼくと彼女とタヌキは 昔あったカスミ(もとい、ファンの熱気)を取り戻すために旅に出た....

(註、この文章は聖地を巡礼した記憶と北野勇作さんの『昔、火星のあった場所』とが混ざってしまって曖昧になってしまった状態で書いたために正確ではないかもしれません)

写真: ウエストのママ
ウエストのママ

(藤田直哉)

広報局からのお知らせ

  • TOKON10公式ブログでは、「東京SF大全」と題して、11月より毎月1のつく日(1、11、21、31日)に東京の出てくるSF作品を紹介していく予定です。とくに31日には、「31日スペシャル」として、本格論文「東京SF論」を掲載する予定です。
    公式ブログ: http://blog.tokon10.net/
  • TOKON10広報局では「東京SF大全」の執筆者を募集しております。なんらかの形で東京が登場するSF作品であれば、小説、映画、アニメを問いません。200字〜400字をめどに、以下のメールアドレスにお送りください。
    e-mail: info@tokon10.net
発行
第49回日本SF大会 TOKON10 実行委員会
編集
広報局
発行日
2010年1月1日
HTML版発行日
2010年1月1日

プログレスレポートHTML版

Produced by Tokon10